未来に繋げる琉球絵画
絵は好きですか?
私が初めて仁添まりなさんの作品を見たのは、沖縄県立芸術大学大学院での研究成果発表の展示です。1枚1枚、どんな思いで描かれたものなのか、モチーフが何を意味するのかがキャプションで丁寧に説明されており、たくさんの祈りが込められた絵に惹かれました。そして仁添さんの作品が琉球絵画と呼ばれるものであると分かり、もっと知りたいと思い取材を申し込みました。
今回、私がお話を伺った仁添さんは琉球画家であり、芸術文化学博士です。学部生の時は日本画を学ばれていました。専門は花鳥画で、トカゲと一緒に生活されています。昆虫同好会にも参加されていて、昆虫を専門に勉強されている方たちと熱く語り合っていたそうです(現在はコロナで活動休止中)。そんな生き物が大好きな仁添さんに琉球絵画についてお話を聞きました。
「百年越しの彼誰」仁添まりな 絹本着彩 116×160cm 2020年
琉球絵画について
―琉球絵画に興味を持たれたきっかけは何ですか?
掛け軸などを売っている沖縄唯一の表具工房でのバイトです。卒業制作の裏打ち(本紙の保護や強度を増すために、裏に和紙を貼ること)を職人さんに頼みに行ったことがきっかけで働くことになりました。その工房は県から琉球絵画の修復を依頼されていて、職人さんと二人で色々調べながら苦労して直しました。県の重要文化財などが運ばれてくるので、「これバイトの私が関わっていいの!?」と思いながら、失敗できないと思って必死に勉強しました。
―琉球絵画には定義があるのでしょうか?
琉球絵画は琉球王国時代の中の、だいたい1600年から1800年ぐらいまでの約200年間に描かれた絵画作品のことをいいます。少し沖縄の歴史の話をすると、初めに入ってきたのは日本の文化で、建築なども日本式のものが多く残っています。その後中国に朝貢するようになり、中国と日本は兄弟のような存在になりました。琉球絵画はその時代の作品なので、やはり中国の影響が強いです。しかし1609年に薩摩から侵攻され、外交や貿易を制限されました。琉球王国という形でありながら薩摩の支配を受けることになり、薩摩から注文を受けて日本人好みの商品の輸出もしています。実際に、山口宗季(呉師虔)という琉球画家が家のことを記録した帳簿の中に、薩摩からデイゴの花を描いてくれと注文を受けたとありました。その他にも、琉球絵画は「唐画にあらず」という言葉が書かれていて、中国画と琉球絵画は別物だったという証拠の1つにもなっています。
―琉球絵画は日本と中国、どちらの存在も無視できないんですね。
余談ですが、琉球王府は薩摩からの使節を迎える場所には日本画を飾り、琉球の食材を使いながら日本人好みのあっさりした料理を用意してもてなしたそうです。そして中国を迎える場所には中国画を飾り、中国風の油を使った濃い味付けをしていたそうです。
―琉球は外交に長けていたんですね。琉球の絵師たちはどうやって技術を学んでいたのですか?中国や日本に留学していたのでしょうか。
琉球王府には貝摺奉行所があって、そこで師から弟子に技術が受け継がれていきました。それだけでなく、絵師たちが中国に留学した記録が残っています。当時は深刻な絵師不足で、多くの絵師が船で福建省に渡り、その途中でたくさんの絵師が亡くなりました。王府はデザイナーを育てるために頑張っていて、「また絵師が亡くなってしまったから早急に送って欲しい!」と書かれた書状が残っています。意外にも薩摩への留学は記録に残っていません。
―貝摺奉行所というのはなんでしょうか?
琉球王国の貝摺奉行所は今でいうデザイン事務所のようなところです。デザイナーとなる絵師が下図を描き、それを螺鈿(貝殻の真珠層を板状にしてはめ込む装飾技法)の図案にしたり、紅型(沖縄を代表する伝統的な染色技法)の図案にしていました。全ての分野がつながっていた場所でもありました。
―ここまでお話を聞いて少し気になったのですが、仁添さんは琉球画家として活動されていますよね。琉球絵画が琉球王国時代に描かれたものを指すなら、現在琉球画家を名乗られる理由が何かあるのでしょうか。
そうですね、矛盾があるかと思います。しかし、琉球絵画が戦後途絶えて、そのままで良いのか、という問題があります。それを言ったら、紅型も同じです。戦後に途絶えたものを、今の城間紅型工房さんが独自に研究して復活させたものなので…。私は正当な継承者ではありませんが、琉球絵画を再興したいと志すしがない絵描きのひとりです。
今の現状として、琉球絵画は沖縄の美術史のなかでは、まだまだ研究途中なのもあって、マイナーなジャンルです。それは沖縄県立芸術大学のなかでも、絵画専攻が日本画と油画しかないことからもわかるかと思います。明確に現段階では琉球王国時代に描かれた絵画としか言えませんが、特徴や描き方を再現できれば、紅型のように再興可能かと思います。日本画でも中国画でもない、琉球らしさがもう一度見直されるかと。
まだ私が中国留学前なので何とも言えませんが、今の段階から、私が琉球絵画という言葉を使っていかないと、美術史のなかでまた簡単に忘れられるかも、という危機感があり、後ろ指を指されようとも、琉球絵画という言葉を使っています。琉球絵画の定義については、まだまだ研究を進めている段階なので断言は控えさせてください。
【筆者注:沖縄は第二次世界大戦の激戦地のひとつです。県民の4分の1が亡くなったとされ、両軍、民間人合わせて約20万人が亡くなっています。そして戦後もアメリカの統治下にあり、伝統工芸の技術の継承が難しい状況が続きました。現在残っている紅型、琉球漆芸などは職人さんが一度途絶えてしまった技術を復興させたものです】
「人魚塚」仁添まりな 絹本着彩 116×200cm 2019年
仁添さんと琉球絵画
―琉球絵画の魅力はどんなところでしょうか?
綺麗だけじゃない面白さがあると思います。紅型に見られる沖縄独自の色彩は魅力的で、特に赤が強くてパッと目に入ります。エネルギッシュな琉球王国を感じられるところが魅力です。琉球絵画は戦争や首里城火災で多くの作品が燃えてしまい、現存するものが少なく、美術館でも時々しか展示されません。しかし、知られていないだけで、すごい人はたくさんいます。例えば、佐渡山安健(毛長禧)の絵は凄すぎて、どうやって描かれたのか分からないほどです。スーパーテクニックを用いて、筆の跡が分からなかったり、鳥の毛も本当にふわっふわなんです。また、琉球絵画が気になったら孫億の作品を見てください。多くの琉球の絵師が孫億の工房で学んだ記録が残っています。中国・清時代の福建の画家であり、その花鳥画は山口宗季(呉師虔)をはじめ琉球の画家に大きな影響を与えました。
―画材はどんなものが使われていたのでしょうか?
画材は日本画と同じようなものを使っていて、福建から輸入していたようです。日本画で使われる膠(にかわ)は牛の皮から取ったりするのですが、琉球絵画にはジュゴンから取った膠も使ったという記録が残っています。
余談ですが、私は中国に行ったときに筆をまとめ買いしています。値段は日本の筆の大体10分の1くらいです。向こうは書道の文化が根付いているので需要があり、筆屋がたくさんあります。
大学生活について
―仁添さんは願いを込められた絵をたくさん描かれていますよね。また、文献や本を参考にしたものも多くあり、ものすごく勉強されているんだなと思いながら作品を拝見しました。
いやいや、そんなことはないですよ(笑)。色々調べてるうちに「面白そう」「描きたいな〜」と思って描くだけです。
今のうちに美術館に通い詰めて、学芸員さんと仲良くなっておくといいですよ。いろんな面白い情報をくれます。
―仁添さんは花鳥画の研究で博士号を取られましたが、大学院に進もうと思われたのは何故でしょうか?
教授にバイトの話をしたり、分からないところを相談していたら、「あなたそろそろ論文書けるんじゃない?」と言われて……というか圧をかけられて(笑)、芸術学専攻じゃないのに!?と思いながらも進むことにしました。
―博士に進んでいかがでしたか?
めっっっちゃ大変でしたが、充実していました。一人で調査の段取りを組んで、たくさんの人に協力してもらいつつ、個展もしながら18万字の論文を書きました。先行研究した人が少なく、なかなか難しかったです。実技の人が欲しい情報を研究しているものは少なく、あとに続く作り手のための研究が進んでいないので、これから必要だと思います。
―琉球画家になろうと思われた理由をお聞きしたいです。
なろうとしてなったわけではなく、自分の描き方のスタイルを模索していくうちに辿り着いた…という形なので、自分の感覚とローカリティーが一致していたというのが理由かと思います。まだ琉球画家になれているかどうかはわかりませんが、今後も研究して、制作に反映させていくつもりです。
最後に
美大・芸大に通っていると言うと、よく「絵が好きなの?」と聞かれます。私は美大受験することになって初めて落書きじゃない絵を描き、美術館に通うようになりました。しかし知識がないので見てもよく分からないものばかりでした。
人間はストーリーが好きだと思います。作者がどんな状況だったときに描かれたとか、どんな技法が生み出されたとか、そういう背景を知ると途端に違うものに見えることもあります。仁添さんの絵を見た時にとてもワクワクして楽しくて、それは私の好きな生き物がたくさん描かれていたこともありますが、作者の仁添さんの思いを知ることができたからでした。ただ眺めるのも好きですが、背景を知った上で見る絵も面白いです。美術作品の見方は自由ですが、私は楽しんで見ていたいと思いました。
「神猫図」仁添まりな 絹本着彩 53×44cm 2020年
(取材・編集・執筆/沖縄県立芸術大学 工芸専攻2年 児玉夏菜)




